神奈川県南足柄市にある曹洞宗寺院・大雄山最乗寺を開いた了庵慧明禅師の妹・慧春尼。絶世の美女であったというが、37歳の時に兄である了庵に得度を求めた。しかし、了庵は出家を認めず。すると慧春尼は火鉢の鉄箸を焼いて自らの顔に押し当て、再び了庵の前に出て得度を求めたという。出家後は厳しい修行に励み、最期は、衆生の救済を願って最乗寺三門前の岩に柴棚を組んで自ら着火して火定したという。
最乗寺で販売されている冊子「慧春尼さま」。尼僧・慧春尼について詳しく知ることができる。
最乗寺境内にある慧春尼の像を祀る「慧春尼堂」。特に女人、子どもに対するご利益があるとされ、参拝者が絶えない。
慧春尼が修行を行ったという最乗寺の裏手にある慧春谷
慧春尼が最乗寺の山麓に開いた三格庵(摂取庵・正寿庵・慈眼庵)の一つ・正寿庵。慧春尼の石像とお墓がある。
正寿庵境内にある慧春尼の石像
正寿庵にある慧春尼の墓。歴代住職のお墓の真ん中に位置している。
慧春尼が初めに開いた摂取庵。慧春尼直筆の書という扁額と慧春尼の木像が安置されている。
慧春尼直筆の書という扁額
慧春尼の木像。中には入れないので、遠くからガラス越しに撮影。
なお、三格庵の残りの一つ・慈眼庵は、横須賀の不入斗に移転したという(現・慈眼寺)。