長崎・五島列島(福江島)にある明星院の御朱印!遣唐使として中国へ渡った空海(後の弘法大師)が帰国時に立ち寄り参籠。満願の朝の明けの明星の奇光を瑞兆(良いことがある前触れ)として「明星庵」と名づけたという空海ゆかりの寺・明星院。
長女から修学旅行のお土産としてサプライズ…
これは問答無用で宝物です!虚空蔵菩薩の達筆な文字がもはやアート!
本尊・虚空蔵菩薩の明星院の御朱印
明星院点描
五島の朝陽!
民泊させてもらい、素晴らしい思い出になったとのこと。
長崎・五島列島(福江島)にある明星院の御朱印!遣唐使として中国へ渡った空海(後の弘法大師)が帰国時に立ち寄り参籠。満願の朝の明けの明星の奇光を瑞兆(良いことがある前触れ)として「明星庵」と名づけたという空海ゆかりの寺・明星院。
長女から修学旅行のお土産としてサプライズ…
これは問答無用で宝物です!虚空蔵菩薩の達筆な文字がもはやアート!
本尊・虚空蔵菩薩の明星院の御朱印
明星院点描
五島の朝陽!
民泊させてもらい、素晴らしい思い出になったとのこと。
東京・湯島にある妻恋神社の「ねこ祭り」限定御朱印。定期的に開催されています。これまでのねこ祭り限定御朱印で押印された印が勢揃い!
以下説明板より
妻恋神社
祭神は、倉稲魂命・日本武尊・弟橘媛命の三柱である。
江戸時代に当社に伝わった縁起によると、その昔、日本武尊が東征の折、この地へきて倉稲魂神(稲荷神)を祀ったことを起源であるとする。また、日本武尊が三浦半島から房総へ渡る時、大暴風雨に遭い、妃の弟橘媛命が身を海に投げて海神を鎮め、一行を救ったことから、妃を船魂神(海神)として当社に祀ったという。
江戸時代、当社は正一位妻恋稲荷大明神と呼ばれ、多くの参詣人を集めた。また、関東近辺のひとびとの求めに応じて各地に稲荷社を分霊したり、「野狐退散」の祈祷などをおこなったりした。当社は、関東総司とも称したほか、江戸時代後期に作られた「稲荷番付」では行司の筆頭にあり、江戸にあった多くの稲荷社の中でも特別な地位に位置付けられ、高い社格を有した。
文京区教育委員会
昨日は「にっぽん城まつり2024」に参戦するため名古屋まで遠征。にっぽん城まつりを楽しんだ後は、熱田神宮へ参拝し、神宮近くの店でひつまぶしを堪能して、何度目かの名古屋城へ!やっぱりお城はカッコいい!
熱田神宮と別宮八劔宮の御朱印
熱田神宮にある信長が奉じた塀、通称・信長塀
熱田神宮参拝のあとは「あつた蓬莱軒」神宮店でひつまぶしを堪能!
尾張名古屋は城で持つ。再建であってもやはり名城。
にっぽん城まつりの後に、名古屋城を訪城した人に配られた名古屋城の御城印。意外とレア?
甲斐武田家三代の居館跡に鎮座する武田神社の御朱印です。節分の日に参拝してきました。
御朱印は御祭神の武田信玄が使用した龍の朱印と軍配がデザインされたもの。
日本百名城の一つに挙げられている武田氏館。日本百名城スタンプも設置されています。
武田神社境内
甲斐武田家の当主は、重大な決定をする際に家宝の「御旗」(日章旗)と「楯無」(小桜韋威鎧)に「御旗楯無も御照覧あれ」と行動を誓ったといわれています。その楯無鎧を武田信玄が甲府の鬼門鎮護のために奉納したのが、菅田天神社(山梨県塩山市)です。
楯無鎧は現存し国宝に指定されており、普段は非公開ですが、特定の日のみ特別に公開されているようです。
御朱印も基本的には頒布されていないようですが閉まっていた社務所に御朱印の見本が貼られていました。
菅田天神社境内
楯無の鎧のポスター
楯無鎧が奉納されている社
上野にある東京国立博物館で展示されている楯無鎧の模造。(中尊寺金色堂展見た後に偶然見つけました)