嵯峨天皇の勅命により、武田王を祀るために創建されたという武田八幡宮(山梨県韮崎市)。
1140年に甲斐武田家の祖である武田信義がこの武田八幡宮で元服をして源信義から武田太郎信義と名を変えたことにより、甲斐武田家が発祥したとされ、代々、甲斐武田家の氏神として尊崇を受けてきた神社です。
立春の日にいただいた武田八幡宮の御朱印
武田八幡宮
近くにある甲斐武田家最後の城・新府城にも再訪しました。
新府城を築いた武田勝頼公霊社
嵯峨天皇の勅命により、武田王を祀るために創建されたという武田八幡宮(山梨県韮崎市)。
1140年に甲斐武田家の祖である武田信義がこの武田八幡宮で元服をして源信義から武田太郎信義と名を変えたことにより、甲斐武田家が発祥したとされ、代々、甲斐武田家の氏神として尊崇を受けてきた神社です。
立春の日にいただいた武田八幡宮の御朱印
武田八幡宮
近くにある甲斐武田家最後の城・新府城にも再訪しました。
新府城を築いた武田勝頼公霊社
躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城で武田信玄が誕生した城と知られている要害山城(山梨県甲府市)に登城してきました!
要害山城は続日本百名城にも選定されています。
続日本百名城のスタンプは甲府駅近くの施設(武田信虎像近くの洋館風建物)でゲットすることができます。
往復40分ぐらいの軽い登山!なかなかの山城でした。
要害山の麓、積翠寺にある信玄公産湯の井戸
2月14日は平将門公のご命日ということで、茨城県坂東市にある平将門公の胴塚(延命院)と國王神社にお参りしてきました。
延命院さんではご命日限定の祥月命日の押印がされた特別御朱印(帳面直書きと書置き)を授与いただきました!
胴塚のある延命院の御朱印。
右側の「将門明王」の御朱印は通年、左側の「大威徳将門明王」の御朱印は2月限定でいただくことができるようです。
御朱印帳にも書いていただきました!
平将門公胴塚
4種類の御朱印が頒布されていました。ご住職がいらっしゃる時は御朱印帳にも書いていただけます。
延命院さんのXでの祥月命日限定御朱印の告知!書置きは告知画像の御朱印をいただくことができました。
帳面にも書入れいただきました。
延命院さんのあとは、平将門公最期の地に建ち、将門公を祀る國王神社に参拝。老朽化が進んでいた社殿を修繕中でした。
トーハクこと東京国立博物館(東京・上野)で開催されている「中尊寺金色堂」展にて頒布された中尊寺の金色堂建立九百年記念切り絵御朱印。建国記念の日(紀元節)、また私的な20周年記念日にとても素敵な特別御朱印をいただくことができました!
展示拝観は連休の中日ということもあり、待ち時間は50分…御朱印は別館の平成館で頒布の為か待ち時間なし。今後も中尊寺展開催期間中の2月18日、25日(日曜日)に東博で頒布されるとのこと。(なお、中尊寺では年内いっぱい授与される模様です)
金色堂模型以外は全て撮影禁止!中尊寺には二度参拝してますが、間近で国宝の仏像たちを全方位観られるのは仏像展ならでは!
グッズ売場で販売されていた会場限定アクリルスタンド。仏像をアクスタ化する流れができつつあります。
購入したのは阿弥陀三尊像のアクリルスタンド
三連休の中日ということで展示拝観まで長蛇の列!
同じく開催されていた江戸城の天守についてのVRも堪能しました!とても良くできていて、お姉さんの説明も分かりやすく大変勉強になりました。おすすめです!
甲府五山の一つにして武田勝頼公の菩提寺・法泉寺。
1582年(天正10年)、織田・徳川連合軍の甲州征伐により、天目山の田野で自害した武田勝頼の首は京都で晒された後、京都・妙心寺に葬られたといいます。史実としては山梨・法泉寺に武田勝頼の歯髪が持ち帰られて葬られたそうですが、寺伝では当時法泉寺の住職だった快岳和尚が密かに甲府の法泉寺に持ち帰り手厚く弔い埋葬したとのこと。
徳川幕府が武田勝頼の菩提寺としたのは、この法泉寺だそうです。