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寺社・御朱印、平将門公史跡めぐりの日々

人生は連続する刹那、線ではなく点の集合である。

人生7割消費して、残りはあと3割。

生者必滅。明日死ぬかもしれないし、長生きするかもしれない。

いつ死ぬか分からないが、仮に織田信長の言葉通り「人間50年」とすると残りの人生は、計算すると5,600日しか残されていないことになる。

これまで過ごした日数は13,000日あまり。

人生の7割を既に消費したわけであり、残りはもう3割しか残されていない。

これまでの人生の不毛さと残りの人生の少なさに、今更ながら愕然とする。

 

四捨五入すると「不惑」。

自分の意志の弱さと惰性のせいもあり、今まで何も残してこなかったし、これからも何も残せない可能性が極めて高い。

しかし、ここまでくるといい加減、開き直るしかない。

人の評価とか外聞とか恥をかくとか、どうでもよく思えてくる。

今まで(今でも)気になっていた(気になっている)が故にどうでもよいと思えてくる。

そもそも生きている間に何かを残す必要なんてないのかもしれない。 

 

自己満足できるかどうか

結局、苦しいことや楽しいこと、正しいこと、間違ったことなど、いろんな清濁まぜ合わさった自分が生きた時間を、自分が満足できるかどうかにかかっている。結局は「自己満足」できるかどうか。

 

人の役に立つという自己満足。苦しみに耐えて達成したという自己満足。ただひたすら享楽を追求したという自己満足。禁欲的に自己を律したという自己満足。自己表現するという自己満足。逆説的だけど、人から評価を得たという自己満足。親孝行をしたという自己満足。美味しいものをたくさん食べたという自己満足。お金をいっぱい稼いだという自己満足。足るを知るという自己満足。

自分を満足させることは意外に難しい。

 

たとえそれが幻想であってもいい。世界の皆が皆、自己満足できていたとしたら、それはきっとこの上ない幸福な世界だと思う。少なくとも今の自分は、もし明日死んだとしたら自分の生きた時間に満足できない。

 

こうなったら開き直るしかない。

残された時間はそう長くはない。こうなったら開き直ろうと思う。

遅かれ早かれ「無」になり、苦しみや楽しみから解放されてしまうわけだから生きてる限り「自己満足」を追求しようと思う。

気づくのが遅かったと嘆いても仕方ない。

一日一善ならぬ、一日一自己満足。

天上天下唯我独尊。もっと図々しく生きようと思う。

 

今話題のアドラー心理学によると、今、及びこれからの自分がどうするかに過去は関係なく、今の自分がどう解釈・判断し、どう行動するかだという。原因論ではなく、現在意志論。人生は連続する刹那、線ではなく点の連続なのだそうである。

今、そして、これからの自分がどうするか。すべてはそれにかかっている。

 

ブログ主が伝説の番組マネーの虎のYouTube版「令和の虎」に志願者として挑戦しました!「知る人ぞ知る!関東の聖地・霊場の定番本」を出版したい!

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