山内一豊が天守閣を建造したという掛川城。
現存天守ではなく、再建された天守ですが、木造の美しい天守でした。日本百名城の一つに選ばれているとのこと。
山内一豊が天守閣を建造したという掛川城。
現存天守ではなく、再建された天守ですが、木造の美しい天守でした。日本百名城の一つに選ばれているとのこと。
願いがことのまま叶うという言の葉の社、遠江国一宮・事任八幡宮(ことのままはちまんぐう・静岡県掛川市)!清少納言の枕草子にも記載があるという古社です。新緑の季節ということもあり、緑が眩しい素晴らしい境内でした。本宮山にある奥社にも参拝し、そのまま本宮山山頂にも登頂。これまで参拝した神社のなかでも有数の素敵な神社でした。感動!
事任八幡宮の御朱印
事任八幡宮オリジナルの御朱印帳。
デザインは、社宝の「羅陵王の舞」掛け軸に描かれているもの。
後日、再び参拝した際にいただいた、境内に数百年あった夫婦杉を使用した特別御朱印帳と特別御朱印
事任八幡宮境内点描
奥社が鎮座する本宮山。
奥社からさらに登り続けると本宮山山頂にも到着します。
神奈川県南足柄市にある曹洞宗寺院・大雄山最乗寺を開いた了庵慧明禅師の妹・慧春尼。絶世の美女であったというが、37歳の時に兄である了庵に得度を求めた。しかし、了庵は出家を認めず。すると慧春尼は火鉢の鉄箸を焼いて自らの顔に押し当て、再び了庵の前に出て得度を求めたという。出家後は厳しい修行に励み、最期は、衆生の救済を願って最乗寺三門前の岩に柴棚を組んで自ら着火して火定したという。
最乗寺で販売されている冊子「慧春尼さま」。尼僧・慧春尼について詳しく知ることができる。
最乗寺境内にある慧春尼の像を祀る「慧春尼堂」。特に女人、子どもに対するご利益があるとされ、参拝者が絶えない。
慧春尼が修行を行ったという最乗寺の裏手にある慧春谷
慧春尼が最乗寺の山麓に開いた三格庵(摂取庵・正寿庵・慈眼庵)の一つ・正寿庵。慧春尼の石像とお墓がある。
正寿庵境内にある慧春尼の石像
正寿庵にある慧春尼の墓。歴代住職のお墓の真ん中に位置している。
慧春尼が初めに開いた摂取庵。慧春尼直筆の書という扁額と慧春尼の木像が安置されている。
慧春尼直筆の書という扁額
慧春尼の木像。中には入れないので、遠くからガラス越しに撮影。
なお、三格庵の残りの一つ・慈眼庵は、横須賀の不入斗に移転したという(現・慈眼寺)。
神奈川県南足柄市にある曹洞宗・大雄山最乗寺のガチャみぐじ(最乗寺ゆかりの造形物とおみくじ付きのガチャガチャ)!小さいけれど、亜鉛合金製のしっかりした作りとなっています。
参拝1日目は、欲しかった慧春尼さまと大天狗と修行僧!
翌日、金の大当たりを引くべく、息子たちを連れて連日の参拝。1回目に十一面観音を神引き(仏引き)!残るもう一つの金の大当たり道了尊を5回目でゲット!コンプリートすべく欲が出てさらに5回引くもコンプリートならず!…しかし、大満足です(笑)!!
調べてみたら最乗寺の他にも信州善光寺や越谷香取神社、和楽備神社、真田神社、出羽三山神社、鎮西大社・諏訪神社など、それぞれオリジナルのガチャみくじを設置している寺社があるようです。
参拝2日目に大当たりした道了尊と十一面観音。その他は、大黒天と小天狗、和合下駄に道了尊の扁額も!
参拝1日目。右から大天狗、慧春尼さま、坐禅中の修行僧
参拝したのは4月8日、お釈迦さまの誕生日。
令和5年3月25日(土)から「春の筑波山」キャンペーンを実施されていました!(5月14日(日)まで)梅まつりに続いて押し巡りスタイルの限定御朱印も!雨だったこともあり、大御堂の特別御朱印は授与者は第一号だったとのこと。4/16まではカタクリの花の台紙、4/17からは筑波山柄の台紙に変わるそうです。
三箇所のスタンプを自分で押し、最後は筑波山神社または大御堂で御朱印をいただくという新しいスタイルの押し巡り御朱印!
筑波山神社の特別御朱印(背景はカタクリの花)
坂東三十三観音霊場の第二十五番札所でもある大御堂の特別御朱印
筑波山神社