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連続する刹那の断片〜 passion & action 〜

為末大「走る哲学」がヤバい!

 為末大氏の走る哲学を読んだ。

「走りながら考える」がとても良かったので、為末氏の本を続けて読んでみたのだけれど、読み終えて思ったことは、彼は哲人だということ。この本は、机上で学んだ学者ではなく、アスリートとして人として生きてきた、実践、試行錯誤に基づく、まさに哲人としての言葉がまとめられている。

 

「走る哲学」は為末氏のツイッターをまとめたものなのだが、一冊の本として見事なまでに成立している。今までそれなりに本を読んできたけれど、ここまで著者の実感がこもった文章はなかなか出会るものではない。

この本は、自分の人生の中では、大きな出会いになったかもしれない。読書の楽しみとは、こういった意外な本との出会いにある。

(同じ大学でキャンパスも同じだったので、学生時代の彼をみたことあったが、その時の彼は金髪で風体も軽薄そうな、ただのイカレポンチにしか見えなかった。人は見かけによらないものです)

走る哲学 (扶桑社新書)

走る哲学 (扶桑社新書)

 

成功病について (為末大Twitterより)

「僕は若い頃とにかく成功したかったのだけれど、ある日そもそも成功ってのは何だろうと思うようになった。きっかけは父親の死で、父親が死ぬ前にぼそっとたこ焼き屋をやりたかったと母に言っていた事。家族の為にいろいろと背負って生きてきただろう父親の言葉がその時妙に引っかかった。

 

父親は半年の余命宣告をされたのだけれど、その時から僕の頭にはもしあと半年で僕が死ぬとしたらという考えがずっとあって、もしそうだとしたら今やっている事で本当に大丈夫だろうかと自分に聞くようになった。だから僕の選択はいつも半年で大体納得がいく所迄持っていける事が基準になっている 。

 

成功とはなんだろうか。そんなの社会的地位を得て、お金を稼いで、成長する事だと言っていても、いざ死ぬ間際になると違う事を考えたりする。なぜなら社会の所謂成功とは今を我慢して、そのリターンを将来得るモデルで、もうすぐ死にますよと言われるとそれが崩れる事に気付くから。

 

残酷な真実は、成功が他者との比較である以上、上位数%以外の人は成功できないという事。人は幸福を同じソサイエティの中で自分がどの位置にいるかで計るという研究があったけれど、つまり成功基準を統一するという事は、ある一定数の不幸せな人が生まれる事を許容する事で成り立っている。

 

生まれて目の前でレースが繰り広げられていて、みんな飛び込む。だったら僕もいかなきゃと飛び込み、どんどんやれと世間もいうから必死で走る。運がいい人は成功して、やればできると言い、運が悪かった人は自分を責めるか、拗ねて成功者をねたむ。こんなのやめたいと言うと、それは逃げだという 。

 

将来の為に今やる事を考えるのは大事な事だけれど、でも今自分は何を感じているかは忘れていないだろうか。幸せが条件だと思えば、先に話したソサイエティの中の地位で自分の幸せを計るけど、本当は幸せは条件ではなくて、今ここの自分が感じている事にある。

 

人はいつ死ぬかわからない。そんないつか悠々自適に過ごす為に今迄我慢してきたのにといっても、聞いてくれない。そして悪い事をしたから死ぬ訳でもなくて、そもそも人生は不条理にできている。人生の苦しさは因果のなさにあり、報われるとは限らない所にある。

 

みんなが目指してたという理由で納得できるほど人は簡単じゃなくて、だから死ぬ事を考えると自分が欲しているものを探さざるを得なくなる。成功したければそれを目指せばいいけど、しなければいけないなんて事は無い。ゴールにある幸せだけじゃなくて道中をもっと感じてもいいと、僕は思う 。」

 

以上、為末大氏のツイッターより。