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寺社・御朱印、平将門公史跡めぐりの日々

甲斐武田家ゆかりの寺社・御朱印まとめ

甲斐の虎・武田信玄!虎の後嗣・武田勝頼!戦国の世を駆け抜け、戦国ファンからの人気が高い甲斐の名家・武田家ゆかりの寺社、御朱印をご紹介します。

・武田八幡宮(山梨県韮崎市)

・恵林寺(山梨県甲州市)

・武田神社(山梨県甲府市)

・積翠寺(山梨県甲府市)

・円光院(山梨県甲府市)

・景徳院(山梨県甲州市)

・法泉寺(山梨県甲府市)

・菅田天神社(山梨県甲州市)

・雲峰寺(山梨県甲州市)

・諏訪大社(長野県諏訪市)

・川中島八幡社(長野県長野市)

 

■甲斐武田家発祥の地!武田八幡宮(山梨県韮崎市)

武田八幡宮は822年に嵯峨天皇の勅命により、日本武尊の子・武田王を祀るために創建され、1140年には甲斐武田家の祖である武田信義がこの武田八幡宮で元服をして武田太郎信義と名を変えたことにより、甲斐武田家発祥の地とされる神社です。以後、甲斐武田家の氏神として尊崇を集め続け、本殿は武田信玄が再建したもので国の重要文化財にも指定されています。甲斐武田家滅亡前の天正10年2月には、武田勝頼夫人(北条氏康の妹・北条夫人)が、夫・勝頼の武運を祈願して奉納した哀切極まる祈願文が奉納されており、甲斐武田家の始まりと終わりを知る神社と言えます。

武田八幡宮の随身門

武田八幡宮拝殿

画像右側が本殿、左側が若宮八幡宮

武田八幡宮の御朱印

北条夫人(桂林院殿)がデザインされた期間限定御朱印

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■武田信玄公の菩提寺!恵林寺(山梨県甲州市)

1330年に名僧・夢窓国師が開いた臨済宗の古刹で、武田勝頼によって武田信玄の葬儀が行われた場所であり、信玄のお墓がある菩提寺です。信玄所用の兜、軍配や団扇や風林火山で有名な「孫子の旗」など、甲斐武田氏に関する寺宝を数多く所蔵しています。1582年、織田・徳川連合軍による甲州征伐の際には、焼き討ちにあい、住職・快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という言葉を残し壮絶な最期を遂げたことでも有名です。

恵林寺山門

武田信玄の姿を等身大に写したとされる「武田不動尊」

武田信玄の墓

恵林寺の武田不動尊の限定切り絵御朱印

恵林寺の通常の御朱印

 

■武田三代の居館・躑躅ヶ崎館跡に建てられた武田信玄をご祭神とする神社!武田神社(山梨県甲府市)

武田三代(信虎、信玄、勝頼)が60年以上にわたって政務を執った居館・躑躅ヶ崎館跡(武田氏館跡)に建てられた武田信玄をご祭神とする神社です(大正時代に創建)。宝物殿には、武田氏ゆかりの品々が展示されています。

武田神社

武田神社拝殿

武田神社オリジナル御朱印帳

武田神社の見開き御朱印



武田神社の通常の御朱印。信玄が用いた龍朱印と風林火山の軍配の添え印が目を引きます。

 

 

■武田信玄の誕生地!積翠寺(山梨県甲府市)

武田神社の北東方向に位置し、要害山の麓に立地する臨済宗寺院・積翠寺。大永元年(1521年)に信虎夫人が戦火を逃れて避難し、背後にある要害山城において武田信玄を出産したといわれています。境内には信玄出産の際に産湯をくんだ井戸が残っており、いただける御朱印の文字は「信玄公誕生寺」!

積翠寺

境内にある信玄公産湯の井戸

積翠寺の御朱印

 

 

■甲府五山の信玄夫人の菩提寺!信玄公守本尊が伝わる円光院(山梨県甲府市)

戦国期に武田信玄が制定した甲府五山のひとつで、信玄正室三条夫人の菩提寺として知られる臨済宗寺院・円光寺。信玄が守本尊とした「刀八毘沙門天」と「勝軍地蔵尊」が伝わっており、御朱印にも「信玄公守本尊」と書かれ、尊像の御影が朱印されています。円光院から南西へ400mほどの住宅地の中には、武田信玄の火葬塚(墓所)もあります。

武田神社から徒歩圏にある円光院

武田信玄の正室・三条夫人の墓

円光院の御朱印「信玄公守本尊」

 

■甲斐武田家終焉の地…景徳院(山梨県甲州市)

甲斐武田家終焉の地に、武田勝頼を弔うため徳川家康が建立した景徳院(山梨県甲州市)。境内には勝頼親子、勝頼夫人・北条夫人が自害したとされる生害石や墓などがあり、戦国の世の哀しい歴史を感じさせる墓域となっています。田野合戦(天目山の戦い)の地に、後に徳川家康が勝頼たちの菩提を弔うために創建させた曹洞宗寺院です。

勝頼、勝頼嫡男・信勝、北条夫人のお墓

景徳院の御朱印

景徳院と天目山・棲雲寺の御朱印(不定期で実施されるコラボ御朱印)。棲雲寺は、武田勝頼一行が最期に目指した場所。

 

■悲運の名称・武田勝頼の菩提寺!法泉寺(山梨県甲府市)

甲府五山の一つにして武田勝頼公の菩提寺・法泉寺。

天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍の甲州征伐により、天目山の田野で自害した武田勝頼の首は京都で晒された後、京都・妙心寺に葬られます。寺伝では当時の法泉寺住職・快岳和尚が密かに首を持ち帰り手厚く弔い埋葬したとの伝承が残っています(史実としては山梨・法泉寺に武田勝頼の歯髪が持ち帰られて法泉寺に葬られたとの話も。)なお、徳川幕府によって指定された正式な武田勝頼の菩提寺はこの法泉寺とのこと。

武田勝頼の菩提寺・法泉寺

法泉寺住職・快岳和尚が密かに首を持ち帰り手厚く弔い埋葬したとの伝承が残る武田勝頼の墓。

法泉寺の期間限定御朱印(通常の御朱印も頒布されています)

 

■甲斐武田家の神宝・楯無鎧を所蔵!菅田天神社(山梨県甲州市)

甲斐武田家の神宝・楯無鎧を所蔵するのが山梨県甲州市塩山にある菅田天神社です。甲斐源氏の祖・新羅三郎義光以来、日の丸の御旗とともに「御旗楯無」とよばれ神格化されてきた楯無鎧。甲斐武田家当主は行動の際に「御旗、楯無もご照覧あれ」と誓約したという甲斐武田家代々の重宝です(現在は国宝に指定)。1年に1回程度、特定の日のみ特別に公開されています。

菅原道真を祀る菅田天神社

縦無鎧が安置されている場所

特定の日のみ特別に公開される縦無鎧 (小桜韋威鎧)。拝観した実物はオーラが凄かったです!

菅田天神社の御朱印

■日本最古の日の丸「御旗」を所蔵、展示する!雲峰寺(山梨県甲州市)

武田信玄ら甲斐武田家当主が誓った重宝のうち、御旗を所蔵する雲峰寺(山梨県甲州市)。日本最古とされる日の丸の旗で、伝承によると1056年に源頼義が後冷泉天皇より下賜され、頼義三男の新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものとされています。武田家の家宝であり、1582年に武田勝頼が一族とともに田野合戦(天目山の戦い)で滅亡した際に、山伝いに運び込まれたといわれ、その際、武田軍の陣頭に立てられた「風林火山」の軍旗である「孫子の旗」も一緒に運び持ち込まれたといわれています。

日本最古の日の丸であるという御旗と孫子の旗は、宝物殿で展示されています(不定休)。

雲峰寺

雲峰寺の御朱印

■隠れた超絶パワースポット!諏訪大社(長野県諏訪市)

長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社。式内社(名神大社)、信濃国一宮。旧社格は官幣大社で全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。武田信玄、武田勝頼は、諏訪明神を甲斐武田家の守り神と崇め、社殿の造営や社領等を寄進し、廃絶していた祭祀を復興させるなど篤く信仰しました。合戦の際に掲げた旗「諏訪南宮上下大明神」は有名です。

諏訪大社上宮本宮

諏訪大社下社春宮

諏訪大社上社本宮と諏訪大社上社前宮の御朱印

諏訪大社下社秋宮と諏訪大社下社春宮の御朱印

■川中島合戦激戦地に建つ社!川中島八幡社(長野県長野市)

川中島古戦場に鎮座する八幡社。平安時代に八幡大神を祀ったことに始まるという古社。 永禄4年(1561)9月10日に起こった第四次川中島の戦いでは、八幡大神を崇敬する武田信玄により、陣が構えられ、境内は上杉謙信との一騎討ちの舞台となりました。御朱印には、武田信玄と上杉謙信の一騎討ちの名場面がデザインされていて、戦国好きには堪らない御朱印となっています。

第四次川中島合戦の地に建つ川中島八幡社

武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像

川中島八幡社オリジナル御朱印帳

戦国好きには堪らない名場面が表現された川中島八幡社の見開き御朱印。

 

以上、甲斐の名家・武田家ゆかりの寺社、御朱印でした!自分のテーマを持って寺社を巡拝すると楽しさ、充実度が倍増すること間違いなしです!

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