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大河ドラマ「花燃ゆ」ー吉田松陰の妹に関する驚きの歴史トリビアー

2015年NHK大河ドラマの登場人物にまつわる驚きの歴史トリビア(雑学)をご紹介したいと思います。 

 

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【トリビア目次】

・<トリビア其の一:吉田松陰は20代でこの世を去った>

・<トリビア其の二:吉田松陰は生涯、女性を知らなかった!>

・<トリビア其の三:「僕(ぼく)」を使い始めたのは吉田松陰>

・<トリビア其の四:山口県萩市では、みんな「吉田松陰先生」と呼ぶ!>

・<トリビア其の五:妹の残っているエピソードは「不美人だった」ということ>

 

来年2015NHK大河ドラマは「花燃ゆ」。

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2015年NHK大河ドラマのタイトルは、「花燃ゆ」!主人公は、幕末の思想家であり、教育者であった吉田松陰の妹「文(あや)、後の美和子」で、今をトキメク女優「井上真央」さんが演じることが発表されています。

 

「吉田松陰って誰?何した人?」

 

吉田松陰の妹が主人公と言われても、「吉田松陰って誰?何した人?」という方の為に、まず吉田松陰について簡潔に説明したいと思います。

 

 ●吉田松陰は、幕末の長州藩(現在の山口県・萩市)に生まれ、黒船のペリー艦隊に乗ってアメリカへ密航しようとしたり、時の老中を暗殺しようとしたりと行動を続けますが、すべて失敗に終わり、最期は幕府に目を付けられ、処刑(斬首)されてしまった人物です。

 

●本人自身は歴史的には何も出来ていませんが、その間、有名な松下村塾を主宰し、高杉晋作や初代内閣総理大臣・伊藤博文、日本軍閥の祖・山県有朋などを教え育てた人物として歴史にその名を残しています。

 

●吉田松陰を簡潔に評するとすれば「本人自身の行動はすべて失敗して何も出来なかったけれど、その思想と言葉、驚異的な人に対する感化力により、後に歴史を動かした多数の人物、及び現在にいたるまでの日本という国に大きな影響を与えた人物」と言うことが出来ると思います。

 

ちなみに安部晋三首相が尊敬していると公言している人物は、吉田松陰その人です。

 

さあ、吉田松陰についてほぼ完璧に簡潔に学習したところで、本題です。今日から使える、驚くほど役に立つ可能性がなくはない驚愕の歴史トリビアです。

<トリビア其の一:吉田松陰は20代でこの世を去った>

 

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この人が吉田松陰です。日本人なら誰もが一度は見たことがあるかと思います。

 

この肖像画は、刑死する少し前に松下村塾の門下生が、師・吉田松陰を描いたものですが、どうみても50歳、若く見ても不惑はゆうに超えていそうなオジサンです。

 

しかし、吉田松陰が斬首されてこの世を去ったのは20代!29歳なのです。

僕を含む30歳以上の人達がもし吉田松陰だったら、「すでに死んでいる!」わけです。

 

<トリビア其の二:吉田松陰は生涯、女性を知らなかった!> 

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吉田松陰は生涯女性を知ることはありませんでした。

 

ここでいう「女性を知らない」とは、一度も女性に会ったことがなくて「女性を知らない」という意味では決してなく、賢明な読者諸兄はもしかしたら、もうお気づきかもしれませんが、つまり、その、アレです、そう、つまり、その、そういうことなのです。

 

これは、吉田松陰がモテなかったとかそういう次元の話でなく、当時、欧米列強の脅威にさらされていた今後の日本のことを考えることで頭が一杯となっていて、それどころではなかったということなのです。たぶん、きっと。いや、絶対!

 

<トリビア其の三:「僕(ぼく)」を使い始めたのは吉田松陰>

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「僕は~~です。」男なら、子供はもちろん、大人の方でも使っている方は多いと思われます。男性が、自分のことを言うときに使う「僕(ぼく)」という言葉ですが、実は吉田松陰がはじめに使い始めたと言われているんです。

 

吉田松陰は徹底的に「私(自分)」を廃した無私の人でした。それ故に、自分は「公僕」(公の為に尽くす下僕)であるから、「私」ではなく、「僕」というように自分を表現する際に使ったという訳です。

 

師である吉田松陰が使い始めて、松下村塾門下生達のなかで「僕」という言葉を使うのが流行し、後に内閣総理大臣や大臣を務める等、栄達した人物たちがそのまま「僕」という言葉を使っていた為に、やがて日本全国に広まったというのです。

 

「僕」という言い方は、決して幼稚な言い方ではなく、実は志と情熱を秘めた熱い言葉なんです。 

 

 <トリビア其の四:山口県萩市では、みんな「吉田松陰先生」と呼ぶ!>

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吉田松陰の出身地である山口県萩市では、吉田松陰のことを、皆が「吉田松陰先生」と言います。

 

吉田松陰なんて呼び捨てにしようものなら、タクシーに乗っていたら、その場で下ろされますし、お店でしたら叩き出されます。

 

というのはもちろん嘘なわけですが、「吉田松陰先生」と必ず「先生」をつけて呼び、老若男女を問わず崇敬していることは事実のようです。

 

松下村塾がある場所には松陰先生を祀った萩・松陰神社が建てられていて、学問の神様としても崇敬を集めており、また、萩市の中心にある萩市立明倫小学校では、現在でも吉田松陰が残した言葉の数々を小学生たちが毎日朗誦しているといいます。

 

小さい時から叩き込まれていますので、筋がね入りです。仕事で山口県萩市出身の方を相手にする時は必ず「吉田松陰先生」と呼び、進んで話題にしてみてください。商談などがまとまる確率が格段に高まるはずです。ちなみに僕は、生まれてから今までに山口県萩市出身の方にお会いしたことはありません。

 

それでは、松陰先生の有名な言葉の一つをご紹介します。みなさんも声に出して朗誦してみましょう。

 

「人、賢愚(けんぐ)ありと雖(いえど)も、各々(おのおの)一、二の才能なきはなし、 湊合( そうごう)して大成する時は必ず全備(ぜんび)する所あらん。」

 

【現代語訳】 

「人間には賢愚の違いはあるが、誰でも一つや二つのすぐれた才能を持っているものである。全力を傾けてその長所を伸ばしていけば、必ず立派な人になることが出来るだろう」

 

 

主人公の吉田松陰の妹「美和子さんって誰?何した人?」

 

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では最後に吉田松陰の妹、主人公の「杉 文(すぎ あや)、後の美和子」についても簡潔に触れておきましょう。

 

●吉田松陰の実家である杉家に四女として誕生し、15歳のときに、松下村塾の双璧と讃えられた久坂玄瑞の妻となるも、久坂玄瑞が禁門の変で自刃すると、不幸にも22歳で未亡人となるが、39歳の時、後の群馬県令(今でいう群馬県知事)で姉・寿の元夫である楫取素彦(かとりもとひこ)と再婚し、その後、79歳で生涯を閉じた。

 

以上です。これ以上でも、以下でもありません。史料的にもほとんど残っていないようで、これまでクローズアップされたことは、一度もなかった人物です。

 

唯一有名なエピソード、トリビアとして、ご紹介できるのは、 

不美人だった!

ということです。

高杉晋作と共に松下村塾の双璧とうたわれ、吉田松陰から高く評価されていた久坂玄瑞は、18歳のときに師である吉田松陰から、松陰の妹の文(あや)との結婚を勧められます。しかし 、美男で知られる久坂玄瑞は、不美人の文を嫁にもらうべきかどうか悩んだ、というエピソードが残っているのです。

 

残されている晩年の写真を見る限り決してそんなことはないのに、こんなエピソードだけが有名になってしまうなんて悲しすぎます。

しかし、動乱の幕末、明治 時代を、歴史に翻弄されながらも、力強く生き抜いた女性であることは間違いありません。来年の大河ドラマでは、どんな描かれ方がされるのでしょうか。

 

吉田松陰と、その妹を題材にした2015年大河ドラマ「花燃ゆ」、 乞うご期待です!!

 

参考外部リンク:吉田松陰.com


幕末・吉田松陰.com(幕末の私塾・松下村塾について)

 

 参考アプリ:

 

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参考動画:


近現代史の起点となった吉田松陰(現代に連綿と続く幕末) - YouTube

 


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